2022/03/01

休暇

 おふくろの認知症が急激に悪化したのが、今年(2022年)の1月。
その後怒涛の1か月が過ぎ、デイサービスやショートステイ、訪問介護やホームヘルパーなど、受けられるサービスを総動員し、ようやく落ち着いてきたのが、悪化してからほぼ1か月後の2月上旬ごろだった。
だが、そこからも徐々に容態は悪化し、2月15日ごろからは、便の始末も私が行うまでに。。。
おふくろの介護が落ち着いてきた2月の上旬ごろ、おふくろは便秘がちであまり家で便をすることがなかった。ショートステイやデイサービス先で処理してもらっていることもあり、このころはまだ便べんの後始末はほぼ、やらなくても済んだ状態だった。

とうとうここまで来たか

ところが!2月中旬。2月の15日あたりだろうか、どうもおふくろが便をおむつの中にしていることが判明。判明と書いたのは「におい」でわかった。一応、トイレに行っておむつを降ろしてみると、大量の便が!・・・
親父と大騒ぎしながら風呂場に連れて行き、ズボンやおふくろの臀部でんぶについた便をお湯で洗い流す。洗い流すといっても「寒い寒い!」だとか「冷たい!」「熱い!」しまいには「もうやめて!」と大騒ぎするので、一筋縄ではいかなかった。しかもおふくろは膀胱の筋力が弱くなっていたので、膀胱ぼうこうくだが付いたバルーンを入れ、自動的に管の先についた袋に尿がたまる「バルーンカーテル」を使用しているのだ。
そのため医師からは管と管が入っている周辺は、常にきれいにしておくことと告げられていた。
「嫌がる」「バルーンカーテル」という2つの障害が加わるので、この便の処理は非常に時間がかかった。最終的に私と親父だけでは手に負えなくて、夜間でも来てくれる訪問看護師を呼んだのだった。

看護師は慣れたもので、嫌な顔せずに淡々とおふくろのあらゆる汚れている部分をきれいにしていった。しかもほぼひとりでこなしていた。
この時、看護師からある程度処理の仕方を見て学んだので、なんとなく対処の仕方はわかった。

そしてこの時ぐらいから便の処理を毎日行わなくてはならない日々が続く・・・
おふくろはトイレで用を足すという概念自体がなくなってきているようで、この日以来、ほぼ毎日おむつの中に便をするようになってしまったのだ。

翌日からは月曜日までショートステイもデイサービスもないので、毎日、夕食前になるとおふくろの便の後始末が始まるようになった。
ただ、慣れてきたようで、日に日に作業がはやく、そして確実になってきた。はじめての時は1時間以上かかってしまったが、3日目ぐらいでは30分もあればお尻もきれいにできるようになってきた。
しかもその直後、夕食を食べるという神経まで身についた。もともと私は設備屋でメンテナンスをしていた頃、トイレに詰まった便の処理をする仕事をしていたので(といっても25年ぐらい前だけれど)、まぁまぁ慣れていた部分があったのかもしれない。(まぁ、あの臭いは嫌だけれど)
あの頃、後輩に「よくあの仕事後、お昼なんて食べられますね」と言われたのを覚えている。

処理の仕方はあまりに生々しいので詳細は書かないが、ウォシュレットで一定の便を落としたら、介護用のゴム手袋をはめ、たっぷりのせっけんを泡立てて臀部、つまり〇門こうもんあたりをゴシゴシこする。
で、ウォシュレットのお湯を利用し、泡と便をこすりながら流していく。困ったのは貯水式のウォシュレットだったので、500mlもお湯を使うと水になってしまう点。
お湯がなくなると、「冷たい!」と騒ぎだす。なのでいろいろなアイデアグッズを使って、お湯をつけ足して洗うのだ。
はじめのころは親父と大騒ぎしながら1時間もかかっていたが、今では一人でも20分ぐらいで終わるぐらいはうまくなったと思う。
20分以上かかるとおふくろが「もうやめて!」と騒ぎだしてしまうので、おとなしくしているまでに済ませてしまうのがポイントだ。

とはいえ、まさかここまでしなければならないとは思わなんだ。。。

さて、今日の日記のタイトルの「休暇」だが、実はその後おふくろに「慢性硬膜下血腫まんせいこうまくかけっしゅ」という脳と頭蓋骨の間に血が溜まってしまう病気が発覚し、今月末から手術入院となったので、かれこれ5日間ぐらいおふくろがいないのだ。
私は自分の仕事もあるし、親父の介護と家事全般もやらなくてはいけないので、ほんとうの意味での休暇ではないが、おふくろの介護を一切やらなくていいというだけで休暇のように感じる。

おふくろがいなくなった初日は

ただ、入院初日は戸惑いもあった。おふくろが死んでしまった状態と入院と、どう違いがあるのだろう?確かに入院はいつかは終了し(10日間だが)、再び会える。死んでしまったら二度と会えない。でも、入院当初は10日がとんでもなく遠い未来のように思えた。永遠とも思えるほど先のように感じた。
なので入院も死んでしまった状態も変わらないのではないか、と感じた。
そう考えると急に寂しくなった。おふくろの「またぁ~、いたずらして」と口癖のように言っていたセリフが急に頭の中に思い浮かんだ。

入院初日はびっくりするほど天気が良かった。おふくろを病院に預けたあと、家に帰ってきてまず洗濯をした。今まで溜まっていたおふくろの使用済み洋服を洗濯機に入れ、ベランダに干した。いい天気だ、気温は低いがこれならお昼すぎには乾いてしまうだろう。
そして全ての洗濯物を干し終わったあと、ふとさっきのセリフが思い浮かんだ。

そっか、もういないんだ。この家にはおふくろはいないんだ。順調に行けば10日後に退院するが、だいぶ先だ。
そうか、多分、おふくろが死んだらこんな感覚なんだ。
そう思うと「開放された」と思っていたが、急に「寂しく」なった。

何度も何度も元気だった頃のおふくろが頭の中に蘇ってくる。結局認知症が治らない限り、元気だったおふくろはもういないんだ。そう思うと急に胸が苦しくなった。
やばい、あれだ。これはあの症状に似ている。あの、そう、何年か前に苦しんだ「パニック障害」だ。だめだ、別のことを考えよう。そうだ、おふくろの介護をしないぶん、時間ができた。だからあれやこれをやろう。そんな感じで無理矢理別のことを考えるようにした。

その後もふと手が空くと、元気だった頃のおふくろが頭に蘇る。

初日はこんな感じだった。だが、二日目、三日目になると段々とおふくろがいない状態にも慣れてきた。今ではおふくろがいない状態のほうが当たり前になってしまった。

忙しいは言い訳

おふくろの介護に向き合ってたときは、介護で忙しいからといろいろなことを後回しにしたり、やらなくなったりしていた。例えば自転車での買い物。
以前は片道4kmの業務スーパーに、遠回りして9kmかけて自転車で向かっていた。途中、心臓破りの坂と、時速40kmまで速度を上げるという課題を課していたので、単なる9kmではなくかなりハードな9kmだった。

が、介護で忙しいから、と自分に言い訳をして近道で行くようになってしまった。ひどいときは車で買い物に行くことも多くなった。
その時も「介護で忙しいから仕方がない」と自分に言い訳をしていた。

そしておふくろが入院して時間ができたはずだった。が・・・
相変わらずサボったままだ。

結局人は、言い訳のために「忙しいから」とそれっぽいセリフで言い訳する生き物なのだ。確かに介護で目まぐるしい日々だったが、それまで出来ていたことをするだけの時間はあったはずだった。

今回おふくろの介護でいろいろなことを学んだ。認知症は確実に、そしてゆっくり悪化してゆく。便の始末という最もやりたくなかった介護は、確実に私に降り掛かってくる運命だった。目を背けてはいけない。
目を背けていると出だしが遅くなる。そして慣れるまで苦しむのは自分なのだ。だから最悪の事態も予定に入れておかなければならない。

もうひとつ学んだことは、自分のため、と思うことでも憂鬱になるのであれば計画を見直すべきだ。
自分のためと憂鬱になりながら筋トレや自転車で遠回りして買い物に行っていた。だが、もっと気軽にチャレンジしようと思う。ありがたいことに筋肉は使わないと衰えていくが、鍛えるともとに戻るのも早い。今まで週に4回、筋トレなどを取り入れていたが、今は好きなときに行うようにするように変更した。

もうひとつ憂鬱だったのが風呂掃除だが、こちらもぐっと回数を減らした。おふくろも親父もお風呂に入らなくなったので、そもそもほぼ風呂場は汚れなくなった。私は入ったあとに風呂場の壁やドア、浴槽などについた水っけを拭いているので、ほぼ汚れない。
そして週1回、軽く掃除すればいい。

あと数日でおふくろは退院だ。さて、どんなおふくろになって帰ってくるのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿