2022/01/16

まさか私が介護をするとは

 「はい、あ~~~~んして」

まさか私がこんな言葉を発するなんて。しかも我が親に対して。。。
そう、私の母親はあまりこのブログでは公開してこなかったが、認知症だったのだ。が、年明けとともに悪化し、今は何もかも私がやってあげないと生活もままならないほど悪化してしまった。
なんとなく日に日に悪化していく母親を見ていて、いつかは、とは思っていたが、本当にそんな日が来るとは。。。

今までは家事全般を私が行う程度だった。トイレも食事も、そして布団から起き上がることも自分でできた。だが、今はそんな時代が信じられないほど悪化してしまった。

あいにくろれつが回らない症状は少し収まってきたが、話している内容は未だに意味不明だ。私の質問にも3回に1回しか的を射た答えが返ってこない。
今日はとうとうトイレまで、出来なくなってきたようだった。

もうずっとお風呂に入っていなかったので、体中、粉吹いた状態だ。足の爪も恐ろしいことになっている。

良い知らせは、ようやく今週末ぐらいからデイサービスが利用できそうな目処がついてきたことだった。

無償の愛

そして最大の気付きは、なんとなく今回の件を通じて真実の「愛」が何なのかわかった気がする。
真実の愛は「恋愛」ではなく、相手に何かを求める「結婚」でもなく、「無償の愛」だ。
私には兄と弟がいる。なので本来は3人で手分けして介護に当たればいいのだが、兄は娘の病気で手一杯だし、弟は仕事が忙しくて殆ど帰ってこない。
必然的に私が面倒見る形になるのだが、あまり二人の兄弟に対してひねくれた思いはない。
それはきっと無償の愛が私の介護の燃料になっているからだろう。
弱くなった母親を間近で見ると、幼い頃の記憶が蘇ってくる。私の母は強い女だった。7人の家族の世話をし、文句も言わず父をサポートし、私が小学校に上がる頃にはパートに働き出した。パートから帰ってきたあとも「疲れた」という言葉を聞いたことがなかった。更に暇があれば、大きな庭の草むしりに勤しんでいた。

私の父親もそうだった。父は自営業だったので、日曜日も働いていたし畑仕事もしていた。が、逃げ出したいと言ったことは一度もなかった。
妹の旦那の会社の保証人になり、1億5000万円の借金を背負ったときも、彼を恨むことはなかった。そして借金を返済するために、75歳までしんどい肉体労働を続けてきた。

そんな色々な想い出、私にしかわからない想い出がこみ上げて、「ああ、これが愛なのか」と感じた。両親が私に対して抱いていた想い。そして私が両親に抱く想い。これこそが無償の愛なのか。

私はこの無償の愛を体感し、知り、自分のものにするために生まれてき、今、まさに計画通りの人生を歩んでいるのかもしれない。

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