2021年は試練の年だった。今年もそんな状況が続くだろう、と思っていたが、年明け早々恐るべき(?)事件が起こった。
母親の認知症の様態が悪化したのだ。もともと要介護2レベルの認知症だったが、転倒したのか手首を骨折。脳には異常がなかったようだが、今日、いつも診てもらっている認知症の先生に急遽(予約も入れずに)診てもらったところ、CTの写真を見ると、脳と頭蓋骨の隙間が開いてきている、という。脳の縮小かな?と思ったが、どうも血液が溜まっているらしい。
一応漢方でこの隙間が減るか様子を見てくれ、とのことだったが、認知症の悪化は私の生活を激変させた。
まず、今まで家の中の徘徊するのは以前からみられたが、今は会話が成り立たなくなっている。しかもろれつがまわらないので、何を言っているのかわからない。
またこちらの話していることも、ほぼわかっていないようだ。
出来なくなったこと
ベッドから一人で起きられなくなった。朝の10時半、私が仕事を終えて自宅に到着すると、今までは母親は起きていて、朝食を食べていることが多かった。つまり、一人で起きられて、朝食も一人で食べることが出来ていた。
ベッドから起きられない
今はベッドから起きることも出来なくなった。父親と二人がかりで起こし、台所に導いてあげないといけなくなった。
また、食事は菓子パンやホットケーキなどを小さくちぎり、フォークに挿して口まで持っていき食べさせるような状態だ。ザ・介護!という感じだ。
このレベルまでは流石にいかないだろう、と思っていたが、いよいよここまで来てしまった・・・。
だが、ネットで色々調べてみると、このレベルはまだまだマシな方で、寝たきりでも自宅介護をしている人は多いようだ。
お風呂
今回の転倒前からだったのだが、去年の11月ぐらいからお風呂に全く入らなくなった。
なので、布団はフケや垢がつねに溜まっていて、常にダイソンで吸い取ってやらないといけない。
食事
先程も書いたが、食事は私がフォークで口元まで運ばないと食べられなくなった。利き手を骨折してしまったというのもあるが、手が震えてしまい、箸を持つこと自体、ほぼ不可能になってしまった。
会話
今まではなんとか会話は通じていた。が、今は何を言っているのかよくわからないし、言っていることがわかっていても、意味がわからないことが多くなった。
「お姉さんはどこにいるの?」とか(お姉さん?誰のことだ???)言っていることはわかるが、なんのことかがわからない。
歯磨き
歯磨きももちろん出来ない。なので私が毎回、ブクブクさせたり、歯ブラシを使って磨いてやっている。もう、そう長くないんだろうけれど、これ以上障害が増えないように、健康面を気にしないとならなくなった。
頭が真っ白に
なんだろう、頭が真っ白になって何も考えられなくなってしまった。このような経験は、何度かあった。前回はいつだろう?でもこんな経験はあるぞ。なにか頭に霧がかかったようになって、何も考えられない。いや、考えたくない状態だ。
そういえば10年前、ノロウィルスにかかったときもそうだった。指を1ミリも動かしたくないほど何もかもめんどくさくなった。
今振り返ると、あのような状況でよく、病院に通った(たまたま3連休で、3日間、病院に通って点滴を打っていた)な、と感心する。
こんなに頭の中が真っ白になったのは数年ぶりだ。変な言い方だが、懐かしい、という気がした。そんな悠長なことを言っていられないほど疲弊しているのだが、100のうちの3ぐらい、「なんだか懐かしいな」という思いがある。
今までこのような何も考えたくなくなるほど頭が真っ白になったことは、何度かあった。詳しくは覚えていない。2010年のどん底のときもそうだったし、2017年、パニック障害を起こしたときもそうだと思う。だが、どんな時も乗り越えてきた。毎回毎回(そして今回も)、「あぁ、もう今回はだめだ。」と感じた。だが、今、私がこうして生きているということは、すべて乗り越えてきた証拠だろう。
今回もきっと、乗り越えるんだろう。たしかに今は、先が全く見えない。
認知症はひどくなることはあっても、回復の兆しが見えることはほぼ無い。徐々に体も衰退し、最後は死んでしまうだろう。
父親もひどく弱ってきている。今回父親がいたからまだ助かった。実を言うと、母がおかしくなったとき、無理心中も考えた。それぐらい切羽詰まった状況だった。
今はだいぶ落ち着いてきたが、転倒した日の夜は、まるでゾンビのように目がどこかを向いていて、歩きまわったり、何かをしようとするのだ。
椅子やソファーに座らせても、3秒後には立ち上がってしまう。
こりゃあ、もう24時間見張っていないといけないぞ。と思った。そして次の瞬間、解決方法は1つしか無い。とも思った。だが、父親の存在が私を我に返してくれた。
私自身も少し慣れてきた。
「はい、あーんして。は~い、噛んで~~」
まさか私がこんな事を言いながら介護をするとは・・・
弱っていく母親を近距離で見て、涙が出てきた。きっとこの母親も、私がまだ歯も生えていない頃、こんな感じで離乳食を食べさせてくれたのだろう。
7人家族の食事を一人で面倒見てきた強かったおふくろ。一度たりともぐちを言ったことがなかったおふくろ。そんな事が頭の中でぐるぐる回り、涙が出そうになる。
「どうしたの、ケラケラ」と、母は私の涙ではなく、私の伸び切った無精髭を見て笑った。そうか、こんな近くで母にひげを見せたことはなかったからな。母は自分の顎を指差して、私のひげが面白い、というジェスチャーをした。
先日、地域支援センターの人に相談した。そして私自信、頭が真っ白になってしまったことを告げた。こういった例は多いようで、「そうでしょうねぇ」と当たり前のようにつぶやいた。
「鬱になられたんだと思います」
そうだ、そうそう。懐かしいという思い、つまり以前こういう経験があったのは、鬱にかかったときだったのだろう。
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