2022/01/01

2021年を振り返る 試練の年だった

 2021年を振り返ってみた。ざっくり言ってしまうと、2021年は、私にとって試練の年だった。2020年は逆に収益も株も調子がよく、収入は1,000万円を超えた。ところが、2021年はコロナの影響というわけではないが、Googleの検索アルゴリズムの変更の影響(専門用語で被弾という)で、サイトへのアクセスが半分から、3分の1まで落ち込み、一気に収入が減ってしまった。

収入について

あいにくサイトからだけではなく、YouTube、そして配送の仕事も行っているので、なんとか月々の収支はプラマイゼロぐらいで推移している。
私は実家暮らしなので、家賃の支払いがないのは助かっているが、一人暮らしだった場合は完全に赤字だったかもしれない。

2020年の月々の収入は、平均すると80万円近くだった。ところが2021年は40万円前後まで落ち込んでしまった。。。

介護について

2017年ごろ、母親が倒れて(すぐに元気を取り戻したが)から、家事全般は私の役目になった。それまでも少しは家事を行っていたが、料理、トイレ・風呂掃除、買い物などは完全に私の役目になった。
それに加えて、母親は2017年ごろから認知症の症状が出始め、日に日にひどくなっていった。
2019年ごろまでは、認知症進行防止意味も込めて母親にも多少、料理を手伝ってもらったりしていたが、2021年に入ってからは、何かを頼むための説明のほうが手間がかかるので、ほとんど何もさせないようにすることにした。
ここ1~2か月前ぐらいからは、ラーメンを見て、「わぁ、こんな食べ物があるんだぁ」という始末。
たまに私のことがだれだかわからなくなる時もあり、日に日に認知症が進行しているのがわかる。
大変なのは、料理道具をどこかにしまい込んでしまうことで、毎日、夕食の準備の開始は道具を探すことから始まる。
また、牛乳などは買ってくると、その日にあらゆるお皿に注いでしまい、あっという間になくなってしまう。なくなるだけならまだいいが、お皿を洗うのも大変だ。

それと、発作が始まると徘徊しだす。昼間ならまだ何とかなるが、夜中徘徊しだすと家じゅう大騒ぎになる。
発作の要因もよくわからない。多くが「家に帰る」だったり「私をはじめ家族の誰かが困っている」と思い込んでしまうようだ。
何か月か前、夜中の2時ごろふと目が覚め、何か廊下で小さな物音がするのでそっとドアを開けてみた。すると母親が、弟が(弟はその時家にいなかったが)水をかぶってびっしょりなので、拭くものを持ってきた。かわいそうだから拭くのを手伝ってやってと騒いでいる。何とか落ち着かせて一階に降りて行ったので、再び寝ようかと思っていると、また何か音がする。
確認してみると、また何かを持って2階に上がってきていた。見てみると七味トウガラシや空き缶などをバケツに入れて持ってきたようだった。この時はいよいよ(施設送り)か。と肩を落とした記憶がある。

12月に入ってから、家じゅうのあらゆる照明がつけっぱなしになるようになった。トイレの電気消し忘れはもはや当たり前で、夜中、さんさんと明かりがついているのはうちぐらいのものだろう。

妄想もひどく、特におばあちゃんが見当たらない(私の父親の母親のこと。もう25年以上前に亡くなっている)と騒いだり、家に帰る(ここが家なのに)、私の奥さん(私は独身だ)について元気でいるか聞いてきたりする。

どうも若いころの性分が、認知症になると極端になるらしい。たとえばうちの母親の場合、昔からもったいない精神で色々なもの(デパートの紙の手提げかばんや、コンビニのビニール袋、使い終えたジャムの瓶など)を取っておく性分だったが、最近では食べ終えた納豆のばっちぃ発泡スチロールの容器すら「何かに使えるから」と言って、とっておくのには参った。

逆に断捨離の性分の場合は、何でもかんでも捨ててしまうようになるのかもしれない。

引き寄せの法則への影響

母親の認知症の介護、そして父親の老人鬱の相手が私に襲い掛かった2021年だった。おかげで毎日毎日カリカリすることが多かった。(今でもだが)
引き寄せの法則は、いいことばかりを引き寄せる法則ではなく、日々思っていること・信じていることを引き寄せる法則だ。そのためネガティブな感情を抱き続けていると、当然ネガティブな未来を引き寄せる。2021年はそれを実感した1年だった。

それに2020年が調子良かったので天狗になっていた影響も響いた。自分は人より優れている、という誤った思い込みは、誤った未来を引き寄せる。この2つが引き寄せられた気がする。

感情というのはなかなか修正できない。イライラすることは日に日に増えていくし、イライラしない自分に成長しない限り、なかなかネガティブな感情からは抜け出せないだろう。

2017年の時も収入が落ち込んだ。が、あのころと違うのはある程度資産を形成していること。今、私の総資産は2700万円ぐらいまで膨らんだ(2017年当時は、1800万円ぐらいだった)。なので、収入が途絶えたらどうしよう!?という不安は2017年当時と比べると、ずっと少なくなった。
私の場合、60歳までに小規模企業共済、国民年金基金、確定拠出年金、生命保険、積み立てNISAなど支払いが多い。これらの合計は、1か月で18万円近くになる。60歳を超えればこれらの支払いが(一応)なくなるので、多少、収入が途絶えても持ちこたえることができる。
2017年の段階では、60歳になるまで今よりも4年多かった。つまり14年ぐらい、月々の18万円の支出に耐えられなければならなかった。
だが、今は60歳になるまで10年程度だ。仮に一切の収入が途絶えても、2700万円の資産を切り崩していけば何とかなりそうだ。
この2017年の時の違いが、YouTubeからの収入、それと配送の仕事を引き留めてくれているのかもしれない(YouTube、配送の収入は今のところ安定している)。

2021年成長したこと

2021年、何か成長したことがあるだろうか?あった。ひとつ(もしくはこのひとつだけかもしれないが)は、野菜を多く食べるようになったこと。
それまでも野菜は一応、多く食べるようにしていたが、2021年は、緑黄色野菜を積極的に採るようにした。
1日350gの緑黄色野菜を採るよう推奨されているが、そこまでいかなくとも、かなり多くとっていると思う。というより、非緑黄色野菜(淡色野菜のこと)はあまり食べなくなった。淡色野菜は、調理に手間がかかる割に栄養はほとんどない。例えばジャガイモ。じゃがいもはほぼ炭水化物と水分の塊だ。その割に皮むきはしちめんどくさい。好きな野菜の一つだが、最近ではあえて食べたいとも思わなくなった。
緑黄色野菜の代表トマトは重量も重く、切るだけで完成なのでほぼ手間がかからない。がん予防や免疫機能を強化するブロッコリは、切って電子レンジで3分ほどチンするだけで完成だ。

野菜を多くとるようになった理由は、長生きしたいから。私は引き寄せの法則に出会ったあたりから、毎日幸せと感じるように(少なくともそれまでの人生よりも)なったので、なるべく現状のまま長生きしたい。
健康かつ長生きするための科学的なデータを調べると、ほぼ「野菜を多く摂取する」ことと「運動を心掛ける」ことの2点に絞り込まれる。その他の長生きの秘訣は、たいてい都市伝説どまりだ。
例えばコーヒーは健康にいいかどうかは、良いという調査結果と同じぐらい、悪いという調査結果もあることが分かった。だが、野菜を多くとることと運動に関しては、ほぼ反対意見がない。過度な運動は、健康にも影響するが、あいにくそこまで追い込むほど運動する気力も時間も、そして体力もないので心配は無用だ。

なので野菜中心の料理を作ることが多くなった。あいにく加齢とともに、野菜嫌いも消えてきた。もともとそれほど嫌いではなかったが、今は野菜のおいしさみたいなものを実感している毎日になってきた。最近のお気に入りは、春菊とカボチャだ。20年ぐらい前の私に、春菊とカボチャが好きだ、なんて言ったらきっとびっくりするだろう。

また、油で揚げる料理は極力避けるようにした。揚げ物は調理にも後片付けにも手間がかかる。コロッケや白身魚のフライなどはイオンの出来上がっている総菜を購入することにした。あいにく近所のイオンは、火曜日、水曜日、これらの総菜が半額になるので助かっている。週に1~2回は、コロッケ、もしくは白身魚、あるいはイワシのフライを食べているが、自宅で油で揚げることはほとんどなくなった。
おかげで換気扇の汚れがだいぶ少なくなった。

運動に関してはiPhoneを購入したあたりから少しずつ行っていた。が、こちらは現状維持だが相変わらず憂鬱だ。一応、週に2回、15㎞程自転車で買い物に行っている(途中に200mほどの心臓破りの坂を足を使わず登りきる、200mの平坦な道を時速40㎞が出るまでチャレンジする、の2つを実行する)し、20分の筋トレを週3回行っているが、始める前は相変わらず憂鬱になる。
私の女友達のうち、3人は、「ジャズサイズ」「エアロビクス」「バレエ」に通っているのだが、話を聞くと3人とも楽しくてしょうがない!行きたくてしょうがない!と言っているが、彼女たちの何がそうさせているのかよくわからない。
私も運動をやりたい!とウズウズするような気持ちがこみあげてくれればいいのだけれど、1ミリもわいてこない。

コロナでなければジムにも通いたいのだが、私の仕事はコロナどころか、病気でも休めない(代わりがいない)ので、なかなかそうもいかない。2021年は収入が減ってしまったので、ジム会員費を支払うのも今はきつい。
毎月、3万3000円、いろいろなところに寄付をしているが、これらをやめてしまえば通えなくもないが、寄付は堕ちるところまで堕ちない限りは続けると決めたので、ジム通いは先になりそうだ。

さて、2022年は何が起こるだろう?全く予測がつかない。2021年もそうだった。ひとつだけ言えるのは、毎年、記憶に残る一年になることだ。年が明けると「去年はきっと10年後、20年後に振り替える1年になるだろう」と思っている。

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