2016/08/30

認知症について

私の祖父は、晩年、認知症にかかりました。当時は、私も親父も若く、家族も祖父を含めて6人いたので、祖父を除いた5人で面倒を見ていましたが、びっくりするほど世話がかかりました。
障害者の子供とは比べ物にならないぐらい、認知症の介護は大変です。
最近、認知症のパートナーを殺害してしまう悲しいニュースを目にすることが多くなりましたが、パートナー一人で介護しなければならない状況なら、十分あり得ることだと思います。それぐらい認知症は、家族に負担をかける病気です。
私は体験的にすでに知っているので、認知症の方の介護がどれだけ大変かわかっているのですが、友人にそういった話をすると、老人ホームや病院にお世話になる。なんて笑って語るひとが多いのです。
でも、老人ホームにしろ入院にしろ、1日いくら掛かるのでしょう?
認知症は命には別段問題がないので、認知症を発症してから死亡するまでかなり年月がかかる病気です。
私の祖父も認知症を発症してから亡くなるまで、3~4年ほどだったと思います。

さて、私を変えた幾つかの書籍の1つに、「サイン」という素晴らしい本があるのですが、先日、この本を電子書籍化(パソコンやスマホ、タブレットなどで読めるようにする作業)していたところ、認知症についての節が目に止まりました。
以下、抜粋です。なお、ブログでも公開されています。

離れて住んでいる実母が、だんだん物忘れがひどくなってきて、やや認知症の傾向が見られます。やさしくしなくてはいけないのに、ついイライラして声を荒げてしまう自分に自己嫌悪を感じます。
 略
神「認知症というものは、大きな意味で言うと、『準備中』です」
龍「は???」
神「『やさしい死』への、準備中です」
龍「!!!!!」
神「その準備を厳しく、そしてやさしく手伝ってあげるのが、あなたの魂の成長の糧となります。その方法は人それぞれ、色々ありますが、有効な手段のひとつとして、昔の流行歌をいつもそばにおいて、聞かせてあげることです」
龍「昔の、流行歌を?」
神「はい。音楽というものは、準備には欠かせません」
龍「そ、そうなんですね!(やっぱり、音楽って偉大だ……)」
神「認知症の人は、傍目(はため)から見ると身勝手で、言うことも聞かず、何をするかわからないとか、目が離せなくて困るとか、ご飯もうまく食べられないとか、トイレもちゃんとできないとか、色々と生活のうえで苦労をすることもあります。ですが、それをなんとも思っていないわけではありません」
龍「え?じゃあ、わかってるんですか?」
神「魂では、これは何かがおかしい。自分は迷惑をかけているのではないか?でも、自分の身体が言うことを聞いてくれない。もういっそ、早く死んだほうがいいのではないか?でも温かい人たちに囲まれて、この世でもっと幸せでいたい、と」
神「そういった葛藤(かっとう)が、魂の中で繰り広げられているのです。その葛藤を音楽でやわらげてあげましょう。もし、たくさんの流行歌を聞かせた中で、ふと動きを止めて聞き入っていたり、歌ったり、笑ったり、涙したり、そういう曲が見つかったら、その曲を何度も何度も聞かせてあげてください。そして、認知症でいいんだよ、と」
龍「!!っ!?」
神「たまには私もきついことを言うけど、それでいいんだよ、と。この歌を聞いて、笑いながら、準備をしてね、と。心の中で魂に向かって話してあげてください」
なぜ、これを取り上げたかというと、この本を電子書籍化したすぐ後、シンクロ(偶然の一致のような出来事)があったからです。
 Spotlightという、大手ブログサイトに以下の記事が乗っていたのです。

アルツハイマーの父親が歌うことで記憶を取り戻すことに息子が気付いた! - Spotlight (スポットライト)

テッド・マクダーモットさんが3年ほど前、認知症と診断されて次第に記憶が失われていったのですが、息子のサイモンさんが、父(テッドさん)が歌が好きだったことを思い出し父に歌ってもらったところ、息子のことすら忘れつつあるテッドさんがたくさんの曲を覚えていたというのです。
サイモンさんがFacebookに、父が歌う姿を投稿したところ、世界中で称賛されたそうです。

テッドさんが認知症と診断されたのは、2013年のことですが、先ほどの「サイン」の記事は、2009年5月に書かれた記事です。

私は「spotlight」というブログサイトは、実はこの時はじめてアクセスしたサイトでした(ペットボトルで室温を下げる効果をGoogleで検索してたまたまアクセスした)。
ちょうど「サイン」の本を電子書籍化した数日後に、たまたま(?)アクセスしたわけです。

スピリチュアルに目覚めていなかった昔の私なら、「たまたま」で片付けていたかもしれないし、そもそも「たまたま」とも思わなかったかもしれません。
でも今は、これが偶然でもたまたまでもなく、「必然的」に目に止まったんだとわかるようになりました。
スピリチュアルの世界に足を踏み込むと、このような「シンクロ(意味のある偶然の一致)」が、徐々に増えていきます。

たまたまと片付けてしまえることかもしれません。でも、「たまたま」と片付けてしまう生き方と、「これは必然なんだ」と意識する人生、どちらがいいでしょう。
少なくとも私は、いや、少ないどころか1000倍、「必然」と意識する人生のほうが幸せになれます。
なぜなら私がそうだから。みじめでちっぽけだった、10年前の私。
唯物主義で、自分は特別だと信じていたあの頃の私。
今の私から見れば、1000分の1の幸せしか持ち合わせていなかった私。