2016/07/31

どんなことでも強く願えば必ずかなう?

たまたまネットをぶらぶら見回っていたら、面白い記事が見つかったので、フムフムと読んでいたのですが、それがこちらの記事。引き寄せの法則を否定しているわけですが・・・

引き寄せの法則でハーレムを作れるのか?
極端な例を考えてみればすぐに分かります。「偏執狂へんしゅうきょう(ある物事に執着し、常識はずれの事を平気でする人)」と呼ばれる人がいますよね。異常なほど何かに執着する人のことですが、この種の狂人全員が、果たして欲望を叶えることができるのでしょうか?
あるいは、ボーダーライン、境界人格性障害と呼ばれる人々。彼らのターゲットに対する執着は、なみなみならぬものがあるでしょうが、他人の感情を無視した行動によって、思うように他人が動くでしょうか?
明らかにそうではありませんよね。強く願うだけで叶うことは、決してありません。それに伴う「正しい努力が」必ず必要です。ところが、この種の「願えば叶う」という呪文は廃れず、いつまでも多くの人の心をつかんで離しません。
 実はこれ、私がスピリチュアルや引き寄せの法則に出会う前、まさにこのような考え方でした。
私も以前はスピリチュアル否定派、引き寄せの法則否定派でしたからね。
否定どころか当時は、「スピ」と聞いただけでいらついていました。(笑)

さて、いろいろな書籍やサイトで引き寄せの法則とは、「強く願うと良いことであれ、悪いことであれ実現する法則」というようなことが書かれています。
でも、実際に引き寄せの法則体験中の私から言わせると、どうもこの説明にはすっきりしない。というか、「うーん。ちょっと違うんじゃないかなあ」と思えるんですよね。

引き寄せの法則のような概念は、だいぶ昔からありました。私が中学校の頃(1980年初頭)は、「願望実現」と呼ばれていました。
当時の私は、ものすごい自分に身体的なコンプレックスを持っていて(背が小さいとか、白髪が多い・・・というような類)、このコンプレックスから抜け出すために、少ないお小遣いをためて願望実現関連の書籍を買いあさっていました。
買い漁った本には、現在の引き寄せの法則関連の書籍と同じようなことが書かれていました。まぁ、もっとオカルトチックに書かれていましたけれど。

願望が実現した状況を強く頭に思い描けば、願望が実現する

といった感じですね。私もそれを信じて、毎晩毎晩、瞑想とイメージトレーニングに勤しんでいました。
結果は惨敗。まったくなにもおこりませんでした。(笑)
その後、大人になるにつれて、このような夢物語は夢物語でしかないんだ・・・と理解するようになりました。

で、なぜ当時、実現しなかったか、というと、先ほどのリンク先の方ような感覚で「願望実現」を理解していたからですね。
強く願えば実現する・・・・強く願えば実現する・・・と。

でも40歳を超え、実際に引き寄せの法則を体験して、あぁ、私は間違って理解していたんだな。とわかりました。つまり「強く願う」のではないんだな。と。

私が引き寄せの法則とは何か、をひと言(もしくは簡潔に)で説明するとしたら、

すでに実現していると知っていることが引き寄せられてくる

という感じでしょうか。何やら雲をつかむような説明かもしれませんが、ようは絶対できっこない、というような願いは引き寄せることはほぼ出来ないってことですね。
だから、「私は億万長者だ!」という願いは、ほぼ引き寄せの法則は働かないでしょう。だって、貯金100万円程度の現実、毎日あくせく汗水たらして働いているが目の前に広がっているんだから。

私の稚拙な例で解説したいと思います。

まず、「強く願えば」ですが、「私は空を飛べる」と強く願っても飛べるようにはならないでしょう。引き寄せの法則では肉体すら納得させないといけないからです。以前も書きましたが、「私は空を飛べる」と本気で信じているのであれば、10階建てのビルの屋上の手すりを口笛を吹きながら普通に歩けるようでなければならないわけです。ところが、実際には屋上に上がった途端手のひらに汗をかき、足が震え、一歩がなかなか踏み出せないでしょう。
それどころか手すりに乗ることすら出来ないかもしれません。
肉体は正直だからです。

肉体より厄介なのは「精神」を納得させることです。
自分は金持ちだ、と強く願っても自分自身は騙せません。
実際には無一文なのに「自分は金持ちだと本気で信じている」と言うのであれば、明日にでも、超豪華なマンションを契約しに行きませんか?
すると、「精神」が慌てて言い訳を用意し始めるかもしれません。

「強く願えば」・・・といっても実際には「肉体」「精神」「現実」が常に妨害してきます。請求書の山、薄い財布の中身、半額セールで買ってきた弁当などの「現実」が目の前に広がっているでしょう。

「強く願うと良いことであれ、悪いことであれ実現する法則」という解説に違和感を感じたというのは、強く願ってもこうした3つの強敵が常に夢から現実に引き戻してしまうからです。

ところが「知っている」状態であれば話が変わってきます。
私はずっと自分が貧乏だと信じていました。ところが、です。無職になり、FXで失敗し、貯金が底をついてきた時にはっと気が付きました。

世界では1日1ドルを稼ぐことすら厳しい人たちが大勢いるのに、私は家もある(両親と同居だけれど)から雨や寒さ、そして暑さもしのぐことができる!
過去、お金がなくて2日間何も口にしなかった時期もあったが、今はどうだろう。お袋が毎日手料理をこしらえてくれてたじゃないか!
おんぼろだけれど、車もあるし、ネットも出来る。
どんだけ恵まれてるんだ、俺!

と、気が付いたんですね。
ここで重要なのが、「やけになって」とか「強がり」で「自分は恵まれていると思い込んだ」んじゃなくて「自分は恵まれていると気が付いた」ってことです。
先程の「強く願えば」は、言い換えれば「思い込んだ」のことじゃないかな、と思うです。
でも「知っている」状態は、「気が付いた」だと思うんですよね。


先ほどのページで、
「狂人が強く願っても叶わない? それは彼らが潜在意識では『無理だ』と分かっているからだ」などと言いますか、これもおかしな話。成功者の全てが潜在意識レベルで成功を確信していたはずがありません。
いやいや、違います。確信していますよ。確信と言うかワクワクと言ったほうがいいかな。正確に言えば成功するかどうかとか一切考えず、夢中になっていた。と言う感じでしょうか。

成功者(例えば孫正義さんやビルゲイツ、スティーブジョブズ)を見てると、「成功を確信していた」という人よりは、「ワクワクして」いる人が成功しているような気がします。
それに100%の成功を確信していなければ、孫さんが2兆円もの金額でボーダフォン日本法人の買収交渉を博打的な感覚で行わないでしょう。
ビルゲイツやスティーブジョブズのような雲の上の人だけでなく、私の周りでもとんでもない「成功者」の話が転がっていますが、みんな無意識のレベルで成功を確信しているでしょう。

ただ私は、成功者の定義があいまいなので(iPhoneでAppleを立ち直らせたが、若くして亡くなったスティーブジョブズが成功者なのかは、人それぞれでしょう。孫さんだってまだまだ人生の途中でしょうし)、あまり引き寄せの法則を他人がどうだから、ということで取り上げたり指摘したくないんですね。

それに他人が何をどのレベルで信じているかわからないのに、赤の他人を例にしてもまったく意味がないでしょう。
先ほど出てきた偏執狂な人たちでも、どこまで彼ら(偏執狂な人たち)が本気で信じているか本人ですら図りかねるのに、赤の他人が彼らを例に引き合いに出すのはおかしいですよね。

そもそも「実現している」と知っているのであれば、欲望ではないでしょう。これは結構大事なことで、「欲望」「願い」であり続ける限り、それは「実現していないと知っている状態」なんですよね。だから引き寄せの法則で引き寄せたい物や事象が何なのかをきちんと考えないと、逆にそれを欲しがる未来を引き寄せてしまうでしょう。

スピリチュアルではよく語られていますが、「他人がどう、ではなく自分がどうするかが大事」だと思います。
なので私は私自身の体験談を通じて、引き寄せの法則を解説しているわけです。

さて、いろいろ書いてきましたが、冷たい言い方をしてしまうと、私は誰か他人が、引き寄せの法則を信じようが信じまいが、どーでもいいんです。(笑)
引き寄せの法則の本を出版したり、講演をする予定もないし、他人が成功しようが失敗しようが、私にはまったく何にも影響がない。他人の心配をする暇があれば、今の幸せにどっぷりつかっていたい。
正直に言うとそういう感覚。

ではなぜ、このような記事を書くかというと、私もそうでしたが、私がどん底期に出会った数々のブログや書籍と同じように、助けを求めている人に手を差し伸べたい、と思うからです。どん底から這い上がった、そして引き寄せの法則を実感した私にしか書けない・表現できない「ヒント」があるんじゃないかなあ。と。
稚拙な文章しか書けない私なので、ヒントになっているかどうかはわかりませんが。

「神との対話」で、神が「イエス(キリスト)が完璧であると誰が言ったのかね?」と言っているように、私も完ぺきには程遠い存在だと思います。
このブログでは偉そうなことをかいていても、実際には不安や恐怖もないわけではありません。
だからこの世に生まれてきたんじゃないかな、と思うのです。
モンスターが1匹も出てこないドラクエをやっても面白くないように、不安や恐怖のない人生を歩んでも、幸せが何なのか理解できないのではないでしょうか。

寒さがあるから温かさが分かる

人生もこれと同じで、多少の恐怖や不安が人生のスパイスになっているのかなと思うのです。