2016/04/16

振り子のよう

色々偉そうなことを書いている私ですが、実は、ちょっとしたことで「幸せ」になったり「不安」になったり、「怒り」を感じたり、まるで振り子のような毎日を過ごしています。
でもそれでいいんだと思います。
常に幸せを感じ、不安などみじんもないような人生であったらこの相対的な、そして物質的な世界に生まれてくる必要性はなかったでしょう。

こんな振り子のようなめまぐるしく変わる精神状態の時は、「神との対話」を読むようにしています。すると心が落ち着くんですよね。
「なにを迷ってるんだい。私がついていることを忘れたのかい」
と、語りかけてくるような気がします。

先日、熊本で大地震がありました。
「神の怒りに触れた」とか「こんな震災を起こるなんて神がいない証拠だ」と思うかもしれません。
でも、神との対話で何度も書かれていますが、

起こったことに意味を求めても意味は無い。起こってしまったことは起こってしまったことだ。
それに起こった出来事は、機会、道具だ。あなたというキャンパスに色を付ける絵の具だ。
あなたに起こった災難は、あなたが自分を表現するための1つの道具として、あなたが呼び寄せたものだ。
あなたはその災難を通じて、なにを表現するだろう?
神が求めていること、そしてあなたが生まれてきた意味は、そこにあるんだよ。

震災の映像を見て、聞いて、私は、そしてあなたは、どんな行動を起こすでしょう?

なにも感じずに過ごすでしょうか?

「私の身に降り掛からなくてよかったなぁ」
「かわいそうに・・・」
「亡くなった方のご冥福を祈ります」
「神はいないのか!」
と、言う(書く)だけで終わるだけでしょうか?――ツイッターで呟いたり、Facebookでつぶやくだけなら小学生でも出来ますね。

寄付をしますか?

ボランティアとして活動するでしょうか?

一番大事なのは、私が(本人が)なにをするか、ですね。
あなたにとっての私(つまり他人)がなにをしたか(なにをするか)は、まったく関係ないことに注意しないといけないでしょう。


東北関東大震災が起こった時、私がテレビで見た衝撃的な映像がありました。

まだ3~4歳の女の子のご両親が、ふたりとも津波にさらわれて死んでしまいました。
女の子は遠くを見つめ、

「お母さん・・・」

とつぶやきました。私はやりきれない思いになり(夕食を食べていたのですが)、涙が溢れそうになり、箸を持つ手が止まってしまいました。
(家族がいたので、気が付かれないように平静を装っていましたが・・・)

こんなひどい仕打ちを神は与えたのか。――ようやく喋れるようになった無垢な天使に・・・

そんな思いがこみ上げてきました。
でもきっと、あの子の周りにはご両親が始終見守っていたでしょうし、幼いころに両親を亡くす。という経験をしに生まれてきたのかもしれません。

考えて見れば、どんな悪魔と思えるような人でも2~3歳までは、誰もが天使のような子供だったんですよね。
何万人を虐待した独裁者ですら・・・

きっとあの子は成長し(5年も経過した!)、私以上の立派なおとなになるのでしょう。