2016/05/04

自分自身を最優先に

神との対話を始め、多くのスピリチュアルな書籍では、「自分自身を最優先に考えなさい」「自分がしたいことをしなさい」など、まるで今まで教師、親から言われ続けてきたこととは全く別の生き方、生きる指針が書かれていて、はじめはこの辺がよく理解できないという人も多いだろう。 本当に、したいことだけをしていきていいのだろうか? まるでジャイアンのようじゃないか。なんて。

あなたがほんとうにしたいことを、どんどんしなさい!ほかのことをしてはいけない。
もう、あまり時間はない。生活のためにしたくもないことをして、人生の時間をむだにしようなどと、どうして考えるのか?そんな人生が何だというのか?そんなのは生きているのではなく死んでいるのだ!

今回の震災で多くの方が、熊本地震で被害にあった方々に寄付をしたと思う。 だが、神との対話やスピリチュアルな考えからすると、こうした寄付は間違っているのだろうか? 身を粉にして働いて得たお金を、他人のために一部を支払うのは誤った行為なのだろうか?

もし、寄付するのにためらいがあるなら、あるいはもったいない。という気持ちがあるのであれば、「間違っている」かも知れない。 神との対話でもこう書かれている。

他人を裏切らないために自分を裏切ること、それも裏切りだ。それは最高の裏切りだ。

では、寄付をするのは間違いなのだろうか・・・

この問に対する答えは、たぶんこうだ。

困っている人を癒やすことを人生の目標に掲げなさい。
傷ついた人に手を差し伸べることを最大の楽しみにしなさい。
その目標・楽しみを選択したならば、寄付をすることは自分のしたいことにならないだろうか。自分の望むことではないだろうか。
したいように生きるというのは、利己的(自分の利益だけを追求しようとするさま)になることではないし、だらしない生き方をすることでもない。
雨の日も風の日もジョギングをしている人は、犯した罰を償っているのだろうか。
被災地でボランティア活動をしている人は、誰かに脅されていやいや活動をしているのだろうか。
もし、あなたが人生の目標を「働かない、悩みもない、何不自由なく生きていくこと」だと掲げているのであれば、寄付や他人のために自分を犠牲にすることは、誤った行為かもしれない。だからなりたい自分を変えなさい。
欲しいものはすべて手に入れるのが人生の目標とするならば、欲しいものの対象をよく考えなさい。

神との対話でも、こう書かれている。

それじゃ、ときには自分を最優先するべきだとおっしゃるのですか。
いやいや、つねに自分を最優先するべきだ!それから、自分が何をしようとしているかを基準に――あるいは、どんな経験を求めているかを基準に――選択しなさい。あなたが、人生の目的を高いところにおいているなら、高い選択ができるだろう。自分を最優先することは、「利己的」になることではない。自分を認識することだ。