2016/03/16

人生で起こることは全て完璧だ。の意味

カリフォルニア州公認の催眠療法修士であり、カウンセラーとして有名なマイケル・ニュートン博士の「人生はなんのためにあるのか」という本は、退行催眠によって死と死の狭間の記憶をよみがえらせるという、変わった試みが記録されている。
この本の中に出てくる事例で、私の理解を飛躍的に高めた例がいくつか有る。

スピリチュアルの世界では王道と呼ばれている書籍、「神との対話」に繰り返し登場する、「人生で起こることは全て完璧だ」というフレーズ。
ずっと意味が理解できず、単なる抽象的な哲学的なものだと思っていた。が、マイケル・ニュートン博士のこの本を読んで、ようやく意味がわかってきた。
以下は、その部分を要約・抜粋してみた。

ここで出てくる被験者(退行催眠では、一般に患者のことを「被験者」と呼ぶらしい)は、年中再発する足(大腿骨だいたいこつの真ん中)の痛みに悩まされていた。
何年も色々な医者に診てもらったが、痛みの原因を見つけることが出来なかったので、彼女を担当した最後の医者は心身症的なものが原因なんじゃないかと結論づけた。
マイケル・ニュートン博士のところへやってきたのは、万策尽きた頃で、博士は彼女の苦痛が過去世に在るのではないかと推測し、2つの前世を遡ることにした。
――博士は何でもかんでも過去世が原因。と決めつけるのではなく(他の精神科医もそうなのだが)、患者の話を十分聞き取り、別の治療を試してみてから最終的な治療法として退行催眠を勧めるようだ。
この患者(被験者)に対しても、十分に話を聞いたうえでの判断だった。


博士の退行催眠により思い出した過去世のうちの1つは、西暦800年頃にレスという名のバイキングとして生きた時代だった。
レスは、180センチをゆうに超える屈強な体の持ち主で、ある村を襲撃している最中に殺された。
レスの人生は、この被験者が何度も生まれ変わる過去世の中でも、最も屈強で丈夫な肉体だった。恐れを知らず、病気になったこともなかった。バイキングとして「略奪」を繰り返し、「食べ物」「酒」「女」があればよく、その日その日を楽しんだ前世だった。
――なぜ、このような屈強な肉体に生まれたのか?
退行催眠中の彼女はこう答えた。

被験者 当時の地球で最高の肉体を希望したら、レスという候補が示されたんです。

ニュートン 選択肢は一つしかなかったのですか。

被験者 いいえ、当時の地球に生きていた二人の人物が候補に上がりました。

ニュートン あなたの宿主として示された当時の肉体を、いずれも気に入らなかったらどうなっていたでしょう。

被験者 (考え込みながら)示された候補は、いつも私が人生で希望する経験とマッチしていましたよ。

この本に登場する被験者の多くが、生まれてくるときに自分が成長するのに最も役立つような人生を選択して生まれてくる(ただし、全てではなく、中にはなにも計画を建てずに生まれてくる魂もあるらしい)。ということを語っている。この被験者の場合は、「自分自身を肉体的に最大限に表現できる人生を歩む」と言う計画を立てて、レスとして生まれてきたようだ。
後に被験者は、レスとしての人生が、さらにその後の人生と合わせてレッスンを学ぶには、心と身体の調和がどれほど大切かということを認識するために大いに役立ったと語っている。

計画はカウンセラー(カウンセラーの存在は、他の被験者によっても度々登場する)と呼ばれる進化した存在が、生まれ変わる魂の要望から適切な人生の候補を幾つか提示してくるらしい。

被験者 カウンセラーは私たちの要望を十分に検討してくれますから、それほど多くの候補は必要ないんです。私にはこの二人の候補に引き合わされる以前から、すでに自分が求める体の大きさや容姿や性別に関してイメージがあったんです。

ニュートン あなたが選ばなかったもう一つの肉体とはどんなものでしたか。

被験者  (間があって)彼はローマ人の兵士でした……やはり私がその人生で望んでいた頑強な肉体をもっていたんです。

ニュートン ローマ人の兵士のどこがいけなかったのですか。

被験者 私は……国家の言うなりになりたくなかったんです(頭を左右に振りながら)……拘束されるのが嫌いなんです。

この被験者の「レスと言う名前で生きた過去世」でわかることは、生まれてくる前に容姿や身体的特徴をあらかじめ知っていて生まれてくる、ということだ。
芸能界などに多いハンサムや美人といった容姿端麗な外見として生まれてきた人々がその外見を利用して、様々な幸福な人生や、転落する人生を歩むのも、生まれてくる前に魂が最も成長するために計画した人生なのだろう。
――そう考えると、タレントのベッキーの不倫騒動や元野球選手の清原氏に関しても、すべて生まれる前に彼らが計画したイベントの1つだったのかもしれない。

レスの人生を終えた被験者は、何度かの過去世を経験したあと、レスの人生から1000年後に、アシュリーという名前の足に障害を負って一生をハンディキャップを持ちながら生きていく人生を計画して生まれ変わった。

――我々は無意識に、幸せになること、お金持ちになること、長生きをすることを「人生の目標」と信じている場合が多い。そのため、ひどい事故にあったり、災害にあって死んだり、騙されたり、と言った体験をしたり、聞いたりすると、「こんな人生は私が望んだものではない」と思ってしまいがちだ。
「神との対話」では、「全て人生で起こることは完璧だ。起こった出来事に完璧性を見なさい。」と繰り返し言っている。
私はずっとこの意味がわからなかった。私に起こった数々の不幸に、完璧性を見ることは出来なかった。東北関東大震災で多くの方が死んだ災害に、完璧性など見いだせなかった。
だが、この被験者の前世(ハンディキャップを持った人生)と魂の解説を読んだ時、見つからなかったパズルのピースがピタリとはめ込まれた気がした。
以下、マイケル・ニュートン博士の「人生はなんのためにあるのか」より抜粋。
()の中は、私の解説。

この女性はいちばん最近の過去世に入って、一八七一年にニューイングランドに住んでいたアシュリーという名前の六歳の少女になりました。アシュリーは満員の馬車に乗っていたときに、扉が開いたはずみで外に転げ落ちたのです。道路の敷石の上に落ちたそのとき、重い馬車の後輪が両膝のすぐ上をひいて骨をへし折ってしまいました。被験者はこの転落について話しているときに両脚に鋭い痛みを追体験しました。
地元の医者の手当てを受けて長らく添え木を当てていたにもかかわらず、アシュリーの足の骨は完全には癒えませんでした。彼女は二度と立つことも歩くこともできなくなって、血液の循環が悪くなったために残りのかなり短い人生で繰り返し脚のむくみに悩まされました。アシュリーは作家として、また障害を負った子どもたちの教師として充実した期間を過ごしたのち、一九一二年(47歳)に亡くなりました。アシュリーの人生の物語が終わると、私は被験者をスピリットの世界に連れ戻しました。

ニュートン あなたの肉体を選択する経歴のなかで、この頑強な男性の肉体と障害をもつ女性とのあいだに一千年もの開きがあるのはなぜですか。

被験者 ええ、もちろん、それは私がそのあいだの多くの人生で自分自身についての理解を深めたからです。最終的には、私は知性的な集中力を高めるために障害をもつ女性になることを選びました。

ニュートン そのために障害者の肉体を選んだのですか。

被験者 そうです、なぜなら、歩くことができなければ読んだり学んだりするしかないからです。私は知力を発達させて自分の心に耳を傾けました。ほかに気を散らすことがなかったので、自分の考えをはっきりと伝え、上手に書くことを学びました。私はいつもベッドのなかにいたんです。

ニュートン アシュリーにもバイキングのレスにも表れているあなたの魂の特徴のようなものはありますか。

被験者 情熱的な表現を求める気持ちはどちらの肉体にも共通していますね。

ニュートン あなたがアシュリーの人生を選ぼうとする瞬間に行ってもらえますか。この障害者の肉体をどうやって選んだのか教えてください。

被験者 私はアメリカの由緒正しい、長い歴史がある地域のある家族を選びました。学問に専念できるようにりっぱな書斎があって、愛情深い両親に面倒を見てもらえる環境がほしかったんです。私は多くの不幸な人たちと文通をして、よい教師になりました。

ニュートン あなたはアシュリーの立場から、自分の面倒を見てくれる愛情深い家族になにをしてやれたのでしょうか。

被験者 それにはいつも二つの面があったんです……すなわち恩恵と責任です。私がこの家族を選んだのは、彼らが惜しみなく愛情を注ぐことができる自分たちが死ぬまで全面的に依存してくれる人間を必要としていたからです。私が生まれるまでは子どもがいなかったので、私たちはとても仲のよい家族になりました。私は彼らが年をとってから、たった一人の子どもとして生まれたんです。彼らは嫁に行かず自分たちを再び孤独にさせない娘を必要としていたんです。

ニュートン では、ある種の取引きだったのですか。

被験者 言ってみればそうですね。

ニュートン では、この決定をさらにさかのぼって、あなたの魂が初めてアシュリーの人生を見た、人生の選択の場に戻りましょう。あなたはそこで馬車の事故の一部始終を見たのですか。

被験者 ええ、もちろんです。でも、あれは事故ではなかったんですよ……起こるはずのことだったんですから。

ニュートン あなたが実際にこの世に生まれたあとでは、その転落はだれに責任があったのでしょうか。 あなたの魂の心ですか、それともアシュリーの生物的な心ですか。

被験者 私たち(魂と精神)は協調していました。彼女は馬車の扉のハンドルをもてあそぶことになっていたし…… 私はその機会を利用したんです。

ニュートン 人生の選択の場で、アシュリーが転落し怪我をする場面を見たときに、あなたの魂の心にはどんな考えが浮かびましたか。

被験者 この障害を負った肉体を生かすにはどうしたらいいかと考えました。肉体の怪我のほかにもいくつかの選択肢があったんですが、私は活発に動きまわる能力をもちたくなかったので、この選択がいちばん気に入りました。

ニュートン ここで原因と結果について探ってみたいと思います。あなた以外の魂が宿っていたとしても、アシュリーは転落したのでしょうか。

被験者 <弁解するように>私たちはお互いにぴったりだったんですよ……。

ニュートン それでは答えになりませんよ。

被験者 <長い間があって>スピリットの私でさえ知らない力があるんです。初めてアシュリーを見たとき……もしも私が宿らなかったら……彼女はもっと健康で……長生きし……別の人生を送る可能性もあったことが見えました……。

ニュートン だんだんはっきりしてきましたね。つまりアシュリーにほかの魂が宿っていたら、転落などしなかったかもしれないということですね。

被験者 ええ……その可能性もありましたね……多くの可能性の一つとして……また彼女はそれほどひどい怪我を負わなくて、松葉杖で歩くこともできたかもしれません。

ニュートン では、あなたは自分が宿っていない健康なアシュリーが、幸せに生きている姿も見たんですか。

被験者 見ました……成長して大人の女性になって……ほかの人たちと同じように歩き……男性で不幸な経験をし……報われない人生を経験して挫折し……両親は悲しみ……それでも苦労の少ない人生ですよね。
だめだわ!そのコースでは私たち(魂と肉体)のどちらにもよくなかったでしょう……私は彼女にとって最善の魂だったんです。

ニュートン あなたがアシュリーの魂として選ばれたあと、転落で最初のきっかけを与えたのはあなたなのですか。

被験者 それは……私たち二人とも(魂と肉体)です……私たちはそのとき一体だったんです……彼女はいたずらをし、馬車のなかで飛び跳ねながら、母親がやめなさいと言うのも聞かずに、扉のハンドルをもてあそんでいました。そのとき……私には準備ができていたし、彼女(肉体)も準備ができていたんです……。

ニュートン あなたの運命はどれほど確かなものだったのですか。あなたの魂がアシュリーに宿ったあとでも、この馬車のなかで起こるはずの出来事を取り消すことができたのですか。

被験者 落ちる直前になにかがひらめいたのを覚えています。予定を取り消して転落しないようにすることもできました。でも、私のなかである声がこう言ったんです……「これはいい機会だ、もうこれ以上待ってはいけない、ここから落ちなさい、これこそ望んでいたことだ……これが最善の道だ」

ニュートン その瞬間を逃すべきではなかったのですか。

被験者 私はアシュリーが年をとりすぎたらまずいと思っていました。

ニュートン でも、この女の子は大変な痛みと苦しみを味わいましたよね……。

被験者 それはひどいものでした。最初の五週間の苦しみは言葉には表せないようなものでした。私はほとんど死にかけましたが、それを耐えることからなにかを学んだし、いまならレス(西暦800年頃のバイキングの前世)の痛みを切り抜ける能力の記憶が助けになっていたこともわかります。

ニュートン あなたの魂の心は、この痛みがもっともひどかった時期に後悔をしましたか。

被験者 この最悪の試練のなかで意識に入ったり出たりしているうちに、私の心はパワーを獲得しはじめたんです。損傷を受けた肉体を乗り越えて、私は痛みをもっとコントロールできるようになりました……ベッドに横たわって……医者たちにはなすすべがありませんでした。自分が発達させた痛みを切り抜けるわざは、のちに学問に集中するのに役立ったし、カウンセラーも微妙なやり方で私を助けてくれたんです。

ニュートン では、あなたはこの人生で歩けないことによって多くのものを得たというわけですね。

被験者 ええ、私はよく他人の言うことに耳を傾け、じっくりと物を考える人間になりました。多くの人々の手紙に応え、インスピレーションとともに書くことを学びました。若い人たちを教え導く能力を身につけ、内なるパワーに導かれているのを感じました。

ニュートン スピリットの世界に戻ったあとで、あなたのカウンセラーはあなたがやり遂げたことを誇りに思いましたか。

被験者 大いにね。甘やかされて少しわがままになったとも言われましたが(笑い)、それが交換条件だったのでしかたがありませんね。

ニュートン レスの強靭な肉体とアシュリーのひ弱な身体の経験は、現在のあなたに役立っていますか、それともこの両者のあいだにつながりはないのですか。

被験者 私はレッスンを学ぶには、心と身体の調和がどれほど大切かということを認識し、そこから多くのものを得ています。

この被験者が脚を怪我した場面を再び生きているとき、私は過敏さを緩和させる処置を講じました。セッションが終わるときに、私は彼女の前世から引き継いだ脚の痛みの記憶を完全に脱プログラムさせました。
しばらくしてから、彼女はもはや脚の痛みを感じなくなり、毎日のようにテニスを楽しんでいると言ってきました。

この例でわかることは、

・多くの険しい人生はあらかじめ計画を建てられていること
・ただしその計画は、そのレールだけしか走れないのではなく、だいたいの枠組みとした大雑把な計画らしい
・計画とは、魂の成長に最も適した人世を歩むような要望にマッチした計画
・人生を成長させる要望にマッチした計画は、複数提示されることがある
・提示された人生に宿らなかった場合の人生も見ることが出来る
この世では不幸と思えるような出来事も、魂のレベルからすると「成長」に最も適した出来事になる
・魂は精神が考えつかない、思い出せない計画のすべてを知っていて、すべてのタイミング・機会を引き寄せている
・人生を歩んでいる間も、カウンセラーから助けを得ている

肉体の怪我のほかにもいくつかの選択肢があったんですが、私は活発に動きまわる能力をもちたくなかったので、この選択がいちばん気に入りました。
とあるように、大雑把な計画(ここでは、
知性的な集中力を高めるための人生)を立てておき、そのような人生を経験するためのチャンス(きっかけ)をいくつも選択できるようだ。

「神との対話」では、この辺の実例が記載されていなかったので、なんとなく概念として理解していたが、モヤモヤするものがあった。

私の父は、私がまだ子供の頃、知人に騙されて1億5000万円ほどの借金を背負った。私が10代だったある時、父が1日だけ帰ってこなかった日があった。私の父は、自営業をしていたのだが、土日は畑仕事をしていて、ほぼ(自分の遊びや娯楽のために)休んだことがなかった。ただし、泊まりがけで仕事をすることは一日もなかったので、この時、親父が帰ってこなかったのは、我が家にとって割と大きな事件だった。後でおふくろに聞いてみると、父は自殺しようとしていたらしい。
いつも笑顔が耐えなかった暮らしにどっぷり使っていた私は、おふくろから理由を聞かされた時は、非常に衝撃的だった。と、同時に人生とはなんて冷酷で恐ろしいものなのだろう。10代の私は、そこで初めて人生の恐ろしさを目の当たりにした気がした。
1億5000万円という金額は(今でも、だが)途方も無いくらい大きな金額だと思えたし、なぜこんなことが我が家に降りかかったんだろう。と、当時の私は何度も何度も自問した。

それから今まで父の人生を振り返ってみて、「あの時(騙される直前)にタイムマシンで戻って引き止めていれば・・・」と、何度も苦虫を潰した気持ちになっていたが、実は全て意味があったことだったのだろう。
※結局、父は大部分の土地を手放し、75歳まで肉体労働で働き続け、1億5000万円の借金は返済(!)できた

私の人生に起こった不幸な出来事の数々(とある事件を起こし、会社をやめなければならなかった件や、電気代やガス代が払えず、電気を止められた生活。そして人生のどん底を味わった、など)も、全て意味があることだったと同時に、全て完璧に計画通りに事が進んだのだと思う。
私に起こったこうした出来事は、ずっと「たまたま」とか「運が悪かった」こととして、意味の無い不幸な出来事として片付けていた。
ところが40歳になった時の人生のどん底期に、これらの経験がヒントとなって、スピリチュアルに目覚めた(それまではスピリチュアルなんて毛嫌いしていたのに(!))。
「そうか!そうだったのか!」
宇宙の真実を知って、何か全身に電気が走った気がした。
多分、こうした不幸な出来事を経験していなければ、この時のひらめきのようなものもなかったんじゃないかと思う。
過去を思い出しても、もう2度と体験したくない思い出ばかりだったし。毎回人生の分岐点では、間違った方、間違った方を選択している気がした。

私の学生時代の予定では、大学に進学し、建築設計士として安定した人生を歩むものだと思っていた。
ところが大学受験に失敗し、建築士としての人生もそれてしまった。
その後、最も進みたくない肉体労働の仕事を選択し、会社を転々として、安定とは程遠い生活を送ってきた。
こんな選択をしてきたのは、自分がだめ人間だからだ。と、心では思っていた。逃げてばかりいたからだ。楽な方、楽な方ばかりを選択してきたからだ、と信じていた。
その後、人生のどん底を経験するわけだが、これも楽な方を選択し続けてきたツケが回ってきたのだと思った。と、同時に、死んでしまえば全てチャラになると思った。死んだら終わり、そう信じていた私は、人生とは行き当たりばったりの意味のない化学反応だと思っていた。現代の社会理念からすると、私の今までの選択は不適合、誤った選択だと思われたかもしれない。

ところが、今はそうでないことが実感できる。すべての選択の結果が今なのだ。
今、私は幸せの絶頂の中にいる。誤った選択だと思っていたが、すべて正しい選択だったのだった。
そう考えると、全て人生で起こることや選択したことはすべて完璧なのだ。
私はこれを「経験」という神からのメッセージで理解した。
言葉を聞かされたり、本を読んだだけではきっと理解できなかっただろう。ところが経験は、こうした単なる言葉遊びと思われるような哲学的なことも容易に理解させてくれる。

神との対話には、こう書かれている。神と対話するとはどういうことなのか、について神が語った部分だ。

第一に「語る」のではなく、「コミュニケートする」と言うことにしよう。神とのコミュニケーションは、言葉よりも優れた、言葉よりずっと豊かで正確なものだからだ。言葉で語り合おうとすると、とたんに言葉の持つ制約に縛られることになる。だからこそ、私は言葉以外でもコミュニケートする。それどころか、言葉はめったに使わない。
わたしはコミュニケーションの手段に思考も使う。思考と感情は同じではないが、同時に生まれることがある。思考を通じたコミュニケーションには、イメージや画像が使われる。だから、単なる言葉よりも思考のほうが、コミュニーケーションの道具として効果的だ。
感情と思考のほかにもうひとつ、経験という、偉大なコミュニケーション手段がある。
感情と思考と経験のすべてが失敗したとき、最後に言葉が使われる。言葉はじつは、最も非効率的なコミュニケーション手段だ。最も曲解されやすいし、誤解されやすい。
どうしてか?それは言葉の性質のためだ。言葉はただの音にすぎない。感情や思考や経験の代用だ。シンボル、サイン、しるしでしかない。真実ではない。ほんものではない。
言葉は理解の助けにはなる。あなたがたはものごとを、経験によって知ることができる。
しかし、経験できないこともある。だからわたしは、知るためのほかの手段を与えた。それが感情と呼ばれるものであり、思考と呼ばれるものである。
さて、皮肉なことに、あなたがたは神の言葉ばかりを重視し、経験をないがしろにしている。
経験をないがしろにしているから、神を経験しても、それが神について教えられていたことと違うと、たちまち経験を捨てて言葉のほうをとる。ところが、ほんとうは逆であるべきなのだ。
経験や感情によって、ひとは直感的に知る。いっぽう、言葉は知っていることをシンボル化しようとする試みにすぎず、混乱の原因になることも多い。
さて、「神との対話」には、どんな出来事も偶然やたまたま、ということはない。と書かれている。以下、抜粋
平均的な人間がぶつかる困難はさておいても、知的、肉体的に制約をもって生まれてきた人たちに課されるチャレンジはどうなんでしょうか。ハンディのあるひとたちにも無限の可能性があるんですか?
あなたがたの世界にある聖書にもそう書いてあるはずだ。いろいろな場所に、いろいろな書き方で。
たとえば、どんなところでしょう。
創世記の第一一章、第六節を見るがいい。
そこには……「そして主は言われた。彼らはみなひとつの民、ひとつの言葉である。彼らが、すでにこのようなことをしはじめたのなら、いまや彼らがしようとすることで、とどめられることはない」とある。そのとおり。これで信じられるだろうか。


でも、弱いひと、衰えたひと、ハンディのあるひとといった、制約のあるひとたちについての問いには答えていません。
そのひとたちに、自分が選びもしない制約があると思うのか。人間の魂が人生のチャレンジに――どんなチャレンジであれ――いきあたりばったりに出会っていると思うのか?そう考えるのか?
それでは、魂は、どんな人生を経験するかを前もって選択しているというのですか?
いや、ちがう。それでは出会いの目的が損なわれてしまう。現在という栄光ある時に、経験を創り出すこと、したがって自らを創り出すことが魂の目的なのだから。だから、どんな人生を経験するのか、前もって選びはしない。
だが、経験を創り出すためのひとや場所、出来事は選ばれ、条件や環境、そしてチャレンジや障害、機会と選択肢も選ばれている。パレットの色、道具箱のなかの道具、作業場の機械は選ばれているのだ。それで何を創るかは、あなたがたの仕事だ。それが人生というものだ。
魂が何を選んでも、あなたがたには限りない可能性が開けている。あなたがたが限られたものと呼ぶ肉体に宿る魂にはどんなことも可能だ。ただあなたがたには、魂の課題が理解できないし、魂の意図もわからない。
だから、あらゆるひとと条件を祝福し、感謝しなさい。そうすることで、神の創造物の完壁さを認め、神への信頼を示しなさい。神の世界ではいきあたりばったりに起こることは何もないし、偶然もない。世界は、あなたがたが運命と呼ぶ気まぐれな選択にほんろうされてはいないのだ。
雪の結晶が完壁ならば、あなたがたの人生のすばらしさにも同じことが言えるとは思わないか?